
つなぎ温泉地域地熱利用施設

つなぎ源泉公園

つなぎ源泉公園は経済産業省「地熱開発理解促進関連事業支援補助金」を活用し整備されました
つなぎ源泉公園には足湯、手湯、温泉卵製造体験コーナー、食品乾燥施設、温泉卵製造施設があり、バイナリー発電で使用した後の温泉が使われています
温泉卵製造体験コーナーと足湯・手湯は営業時間内は無料で自由に利用できますよ!
営業時間:温泉たまご製造体験コーナー 8:00-17:00
手湯
つなぎ源泉公園の手湯。やまいち手湯よりも温度は高め。
特に夏場は高温にご注意下さい。
足湯
テーブル付きの足湯です。
温泉たまごづくり無料体験コーナー
運営元からのお願い
卵の持ち帰りトラブルが発生しております。自己責任での管理をお願いします。
- 温泉たまごできあがりまでの所要時間目安は約45分以上です。温泉供給状態により、温泉の温度変化があります。(*)
- 製造容器を同時に2個以上使用することはご遠慮ください。製造容器は譲り合ってご利用願います。
- 製造容器に卵以外のものを入れないでください。
- 高温の源泉です。やけどには十分気をつけてご利用ください。
- バルブ等の器具類には手を触れないでください。
- ごみはお持ち帰りください。

冬場は2時間以上かかります(3時間でも怪しいかも)。夏場でも、天候等の状況により1時間~1時間半程度かかることもあります
旧源泉・荒湯跡
荒湯について
ここはかつて、高温多量の温泉が湧き出ていた自然湧出温泉「荒湯」の跡です。往時の湧出状況は荒々しいまでに盛んで近寄りがたいものがあったことから「荒湯」と呼ばれ、神聖な場所とされてきました。当温泉地に点在した十余の温泉中、「荒湯」は温泉76℃、湧出量600m^3/毎分もあって、地域内需要の大方をまかなっていましたが、昭和35年頃から湧出量の減少が顕著となり、平成2年11月17日をもって自然湧出は絶えてしまいました。
しかし、地下深層部には豊富な温泉水脈があり、平成4年からは現在地の上流部約800メートルの地点において、深層部の温泉を動力で汲み上げることにより、安定かつ豊富な温泉供給を行っています。なお、この温泉の泉質は、全国でも珍しいアルカリ性単純硫化水素泉で、特に動脈硬化症や高血圧症、抹消循環器障害や心臓病などの循環器疾患に効果が高いといわれている名湯です。
旧源泉・荒湯
発電施設
国内初となる温泉熱による水バイナリー発電施設。ここでは、源泉の一つである「新瑞光の湯」の温泉熱を利用して、地熱バイナリー発電を行います。発電に使用した後の温泉は、地熱活用ハウス(後述)やつなぎ源泉公園の足湯、手湯、温泉卵製造体験コーナー、食品乾燥施設、温泉卵製造施設で活用されます。また、これらの施設周辺の道路融雪にも発電後の温泉熱が使われています。
地熱活用ハウス

地熱活用ハウスで栽培中のトマト
繋温泉熱利用実習温室
かつて、同じ場所に「繋温泉熱利用実習温室」がありました。岩手大学が温泉熱の活用により、寒冷である東北の地において、気候変動に影響されない、普遍的な園芸の振興と農家の経済上の福祉の開発を目的として開場したものです。145.2平方メートル(44坪)の面積にコの字の3室を整備し、マスクメロンとともにシネラリア、シクラメンが栽培されるようになりました。その後、昭和39年、施設の老朽化により惜しまれながら閉鎖になりました。(「岩手大学農学部百年史」より)
つなぎ地域の魅力
地元の秀峰・岩手山の裾野に広がる温泉地
周辺に山が多いことがつなぎ地区の第一の特徴でしょう。
温泉街にある湯の舘山を筆頭に南側には箱ヶ森、眼下には御所湖が広がり、北側には宮沢賢治の詩にも登場する七ツ森、さらに遠くには秀峰・岩手山が威風も堂々と聳えております。
更に北西には秋田駒ケ岳を仰ぐことができます。
また、御所湖周辺に整備された御所湖広域公園は、大人も子どもも楽しめる憩いの場。10数か所の園地では、変り種自転車やゴーカートなどの乗り物が楽しめたり、グラウンドゴルフやバーベキュー、カヌーもできますよ。
御所湖広域公園
また、岩手山の裾野に位置する小岩井農場、網張温泉、岩手高原も有名です。
出湯の里・つなぎ温泉
つなぎ地区南部には、開湯千年余の歴史を持つ「つなぎ温泉」があります。盛岡市街地から車でおよそ二十分という近さから、長らく「盛岡の奥座敷」と呼ばれ、岩手県内有数の温泉地として、地元の方や観光客に親しまれております。
つなぎ温泉の魅力
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つなぎ温泉の魅力
つなぎ温泉にある源泉は全部で6つあり、毎分2,000リットルもの温泉が湧き出でております。 泉質は、血行や代謝の促進に作用するといわれる硫黄成分と、お肌の表面にある古い角質を落とす作用が期待できるアル ...
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ものづくりの里・盛岡手づくり村
御所湖を挟んだ対岸のつなぎ地区北部は田園風景が広がっており、尾入野エリアには「盛岡手づくり村」があります。
盛岡手づくり村
繋遺跡〜縄文の昔から地域を育み続ける
つなぎ地区は知る人ぞ知る遺跡の町です。小規模ながらも、縄文時代から近世に至るまで、各時代にわたる遺跡が点在しています。
道路工事など公共事業を進めるタイミングで発掘調査を実施した結果、縄文時代にはすでにつなぎ地域に集落が存在し、出土した石器類などから、石器製作・石材供給の拠点遺跡であった可能性が高いことがわかり、さらに、地域の歴史を知る上で貴重な資料が数多く発見されてきました。中でも1951年に地元で発見された縄文土器が国指定重要文化財に指定されるなど、縄文時代を代表する土器のひとつとして高く評価されております。
これら貴重な資料は「遺跡の学び館」(盛岡市本宮字荒屋)に所蔵されております。
詳しくはこの後「萪内遺跡」でご紹介します
遺跡の学び館
自然の恵み豊かなふる里・田園地区
また、同じエリアには「尾入野湿生植物園」があり、夏には蛍が見られます。
つなぎ地域、御所湖周辺の野生生物
注意:不用意に近づかないようにしましょう!
イノシシ、キツネ、タヌキ、テン、リス、ニホンカモシカ、ツキノワグマ、カンムリカイツブリなどが生息しております。また、冬季には御所湖でハクチョウを間近で見ることができるかもしれません。
つなぎ地域の名所・史跡など
御所ダム
1981(昭和56)年完成。ダムの高さ52.5m、ダムの長さ327.0m。洪水調節や発電はもとより、生活用水や農業用水にも活用されています。
御所湖
御所ダムの完成によって誕生したダム湖。周辺に観光資源が多く、たくさんの方にお越しいただいております。国土交通省のダム湖利用実態調査において、年間湖面利用者日本一を何度も獲得してきました。
近年は神奈川県の宮ヶ瀬ダムに首位の座を奪われてしまいましたが、それでも2位をキープしております
愛川町観光協会
宮ケ瀬ダム周辺振興財団
藤倉神社
室町時代の応永元年創建。長年地元の人たちに信仰され、親しまれてきました。毎年9月3日に開催される藤倉神社祭礼では神楽の披露や子供相撲が行われています。
藤倉清水
神社の鳥居のそばでは水が湧き出ており、古くから地元の生活用水として利用されてきました。神社の案内板によると、今からおよそ600年以上前から湧き出ていたようです。地元に長らく愛されてきた藤倉清水は、今も多くの方が水汲みに訪れていらっしゃいます(無料)
つなぎ温泉神社
約300年前の創建。薬師神社ともいわれ、難病治療・安産・商売繁盛の神様として地域の人々に親しまれてきました。毎年9月8日に温泉神社祭礼が開催され、神楽の披露などが行われています。
つなぎ石
およそ1000年前、前九年の役の折、源義家が安倍貞任を攻めた時、陣を置いた湯の舘にお湯が湧いているのをみつけ、そばの穴のあいた石に馬を繋いだ石が繋石と呼ばれ、つなぎ温泉の名前の由来になっております。
猫石
前九年の役の折、源義家は激しい戦いの中、安倍貞任に追い込まれ、食料に困り果て、山の獣を捕って食べ、骨は山すそに捨てました。捨てられた骨は猫の形の石に変化し、義家の殺生を戒めたという言い伝えがあります。
猫石の案内板より
盛岡市のつなぎ温泉は湯ノ舘山の山裾の湯の沢に開かれ、温泉の玄関口に猫石と呼ばれる石があります。昔は、巨大な猫の形をした大石が両側に立っていたことから、まねき猫とも呼ばれています。前九年の役のおり安倍貞任と八幡太郎義家の戦いは激戦をきわめ、八幡太郎義家は追われるように湯ノ舘山に兵をひきました。食糧にこまりはてた義家は、木の実、山のけものを集めて食物として食べ、骨を山裾になげました。
投げすてられた骨は、一夜にして猫の形をした石になって義家の殺生をいましめました。里人は猫の形をした大石を猫の霊、猫石と読んで赤飯をあげてお祭りする人が多かったといいます。温泉街の玄関口の両側にあった事からお客を招くまねき猫とも呼ばれた大石は壊され、今は、道路の東側だけにその一部が残されています。昔は、今の5倍もあったといわれています。西側の猫石はなく昔話だけとなっています。
シオン像
岩手県一戸町出身、戦後日本を代表する著名な彫刻家・舟越保武(ふなこしやすたけ)作。御所ダムの完成を記念し建立されました。
像の前のプレートに記載されている建立の由来「シオンは、ここ盛岡市西郊の御所湖畔に立つ清楚な女性像です。シオンは秋毎に淡紫色の花を咲かせる紫苑菊から名づけられました。シオンは郷土出身の彫刻家舟越保武氏の手によるブロンズ像です。シオンは御所湖畔にシオンを建てる会、つなぎ地区周辺整備協議会、その他多くの人々の協力により昭和55年10月6日に除幕式を迎えました。シオンは600ヘクタールの水没と520世帯の移転という地域社会の変動を超えて新しい歩みを始めている、つなぎ地域のシンボルです。」
ちなみに、田沢湖畔のたつこ像も彼の作品です。
やまいち手湯
平成19年5月に完成。どなたでも気軽に利用できる手湯(てゆ)です。通りがかった際にほっこりしていきませんか^^
こちらでは飲用の許可を受けておりませんので、飲まないで下さい。
ねこいし足湯
足湯もあります!こちらは平成21年7月に完成し、観光客や地元の住民の憩いの場となっています。
営業時間
5月~10月の期間 06:30~20:00
11月~4月の期間 08:00~20:00
※毎週月・木曜は清掃のため10:00営業開始
ご利用上の注意
- 飲み物の持ち込みはOK。食事、喫煙はだめです
- ペットの入浴もだめです
- 源泉かけ流しのため、足湯の温度は日によって変わります
- 都合により事前の予告なしに営業を休止する場合もございます
おちあい足湯
こちらはねこいし足湯から少し南側に設置された足湯になります。こちらも観光客や地元の住民の憩いの場となっています。
営業時間
5月~10月の期間 06:30~20:00
11月~4月の期間 08:00~20:00
※毎週月・木曜は清掃のため10:00営業開始
ご利用上の注意
- 飲み物の持ち込みはOK。食事、喫煙はだめです
- ペットの入浴もだめです
- 源泉かけ流しのため、足湯の温度は日によって変わります
- 都合により事前の予告なしに営業を休止する場合もございます
温泉神社 お浄めの湯
繋温泉神社の入り口にも小さいながら手湯がございます。案内板の裏に隠れてしまっておりますが。。
大観の湯
ホテル大観さんの玄関前にある「大観の湯」。ここは「飲む温泉」(飲泉)が可能となっております。備え付けの「飲用方法及びご注意」をよく読み、用法・用量を守って正しくご使用下さい。手湯としてもご利用可能です。適応症は耐糖能異常(糖尿病) 高コレステロール血症とのこと。
飲用方法及びご注意
- 温泉飲用の1回の量は100ml~150mlで、1日の総量は350mlまでとしてください
- 15歳以下の方の飲泉は原則として避けてください
- 飲泉は食事の30分程度前に行ってください
- 飲泉には備え付けの紙コップをご使用ください
- 飲泉場から飲用目的で温泉水をお持ち帰りにならないでください
- 飲み残しのお湯は手湯に流さないでください
萪内遺跡
御所ダム建設により水没する前に、このあたりで昭和51年と52〜55年にかけて、2度の発掘調査が行われました。その結果、縄文時代後期〜晩期(4000年から2300年前頃)の遺跡であることが判明しました。水没した遺跡のすぐ近くの湖岸にトーテムポールのレプリカがあり、この地に遺跡があったことを語り継いでいます。
トーテムポール前に設置されている岩手県の案内文によりますと、
萪内遺跡の発掘は、御所ダム建設による水没に先だつ昭和51年から55年にかけて実施されました。 雫石河岸の萪内遺跡は、今からおよそ4000年から2000年前の縄文時代後・晩期のものと推定され、人々はたて穴住居をつくり狩猟や漁労によって生活していました。 遺跡からは、土器のほか、漆塗りのくしや皿・丸木弓・トーテムポールなどの木製品が多く出土しています。 トーテムポールは、集落や家の祖神を象徴し、集落・年のよみがえりを願う祭をうける神と考えられています。発見されたトーテムポールは、長さ65cm直径10cmのクリの木の丸材で、長さ13cmの顔面には首から口・鼻・目・頭をけずりだしで表現されています。萪内橋の両岸にあるものは、出土したトーテムポールを鋳造で複製拡大したものです。
ご興味のございます方は埋蔵文化財センターのホームページを御覧下さい。
七ツ森森林公園(雫石町)
繋多目的運動場から見た七ツ森
御所湖の北側、国道46号沿いにある森林公園。ここに7つの森があるので「七ツ森」。平成17年3月に国の名勝指定を受けたこの場所は、宮澤賢治の文学作品に多数登場しており、まさに「イーハトーブの風景地」です。公園全域に遊歩道が整備されているほか、キャンプ場や野鳥観察小屋なども設置されています。七ツ森の一つ・生森山頂には展望台があり、雫石盆地、岩手山、秋田駒ヶ岳を一望できておすすめスポットです。
七ツ森とは
(1)見立森(みてのもり) (2)三角森(みかどもり) (3)勘十郎森(かんじゅうろうもり) (4)稗糠森(ひえぬかもり) (5)鉢森(はちもり) (6)石倉森(いしくらもり) (7)生森(おおもり)
その他の施設
・盛岡手づくり村
・さくら園
・岩手県立御所湖広域公園
つなぎの名称の由来
なぜこの地が繋と呼ばれるようになったのか。当時の歴史を紐解いてみますと
源義家と繋温泉
平安末期の康平年間(西暦1058-65年)、時の武将・源義家が阿部貞任を攻める際、現在の「湯の館」南方の山麓に本陣を構えました。世にいう「前九年の役」と呼ばれる戦いです。義家はこの地に温泉が湧いているのを発見し、愛馬の傷をこの温泉で洗ったところ、みるみる傷が癒されていったそうです。そこで、義家自身も愛馬を穴の開いた石に繋いで入浴したことから、繋温泉と呼ばれるようになり、付近一帯の地名にもなったと言い伝えられています。
御所の名前の由来
南北朝時代の公卿・北畠顕成の子息、北畠顕忠(北畠少弐)がこの地に居を構え「滴石御所」と名乗ったことが、名前の由来と伝えられています。御所と言えば代々の天皇が居住する場所という意味が一般的ですが、位の高い貴人の住居という意味もあるのです。
御所村〜雫石町・盛岡市へ
明治22年。当時存在した繋村、西安庭村、南畑村、鶯宿村が合併し、御所村が誕生しました。当時の御所村は人口、面積、戸数、財政ともに雫石村を上回っていたそうです。
昭和30年。政府の市町村合併令が発せられ、御所村は雫石町に合併される計画が持ち上がりましたが、繋地区の住民が雫石町との合併に猛反対。盛岡市への合併を熱望したそうです。この結果、西安庭・南畑・鶯宿の3地区が雫石町に、繋地区は盛岡市に編入され、今日に至っております。御所湖周辺で市境が入り組んでいるのは、歴史的背景があったからなんですね!
行政上の地名から御所の名前は消えましたが、昭和56年に完成した御所ダム(御所湖)に受け継がれました。