
https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/260828/www.town.shizugawa.miyagi.jp/index.htm
志津川地方は今から850年ほど前には本良(もとよし)と呼ばれていたようです。仁平3年(1153年)、時の左大臣藤原頼長の日記「台記」に「奥州本良庄の年貢増すべし。」とあり、これが古い文献に当地方の地名が記された初めのようです。これによると、当時京都の藤原氏の荘園となっていたようで、後に平泉藤原秀衡の四男高衡がこの地を宰領、本吉冠者高衡と言いはじめて本吉郡と呼ばれるようになったと考えられます。いつのころから志津川と呼ばれるようになったかは定かではありませんが、どうやら千葉氏宰領の末期には清水川と書かれ、享保年間(1716〜1735年)には清水川・志津川が混用され、元文年間(1736〜1740年)から志津川と記録されるようになったようです。明治5年に、志津川村、清水浜村、荒砥浜村が合併して本吉村となり、明治28年本吉村を志津川町と改称して町制をしくようになりました。昭和30年、志津川町、戸倉村、入谷村が合併し、現在の志津川町になりました。